色のコラム

2023.6.21
 

Fashion Color History vol.4

「カラーキャンペーンの隆盛・1958〜69」


※「 Fashion Color History」では、過去の「流行色」にまつわる話題を紹介します。今回は「カラーキャンペーンの隆盛・1958〜69」についてのお話です。
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経済の高度成長期をむかえ、
カラーキャンペーンが盛り上がる


「ゴールデン・シックスティーズ、黄金の60年代」と呼ばれた1960年代当時の日本は、経済の高度成長期にあり大衆消費社会が伸展し、生活者の欲望の充足期を迎えた時期にあたる。上向いた消費意欲に拍車をかけるかのように、1960年(昭和35)には各百貨店から一斉に、カラーをテーマとした「カラーキャンペーン」がスタートしている。同じ年にはカラーTVの本放送が開始されており、カラーキャンペーンとともに、この頃から生活者の色彩への関心が急激な盛り上がりを見せ始めたといえよう。

カラーキャンペーンは、百貨店独自の企画でスタートする以前、すでに1958年(昭和33)に、「モーニングスターブルー」(*注1)のキャンペーンとして打たれた経緯をもつ。モーニングスターブルーは、レナウンが中心になり、百貨店や小売店がタイアップし、モーニングスターブルーと名付けられたブルーの婦人服や服飾品のキャンペーン展開が行われたものである。

翌1959年(昭和34)には化粧品メーカーのマックス・ファクターが「ローマンピンク」というカラーキャンペーンをピンクの口紅を中心に展開。ローマンピンクは多くの女性の口紅の色をピンクに変えたといわれるほどのヒットを記録した。
各百貨店のカラーキャンペーンは、春夏と秋冬の2シーズンに分けて行われ、それぞれ、独自色を打ち出し、生活者に季節の色をアピールしようという狙いのものであった。

1960年春夏の主なキャンペーンカラーとして、伊勢丹「イタリアングリーン」/東急「ハワイアンブルー」/松屋「フレッシュラベンダー」などがある。また1961年春夏では、伊勢丹が「イタリアンブルー」と銘打ったブルー商品の集中キャンペーンを行い、当初のカラーキャンペーンの中でも特に注目された。

JAFCAカラーを使用した、
大型カラーキャンペーン「シャーベットトーン」


1962年(昭和37)からは当時全盛の化合繊メーカーからカラーキャンペーンが開始されるようになり、百貨店もそれにタイアップする形態が多く見られるようになってくる。その最大のヒットとなったのが、この年のJAFCAの春夏ウイメンズカラー「シャーベットトーン」によるカラーキャンペーンである。
シャーベットトーンのカラーキャンペーンは、合繊メーカーの東レ、百貨店の高島屋、西武のほかにも化粧品の資生堂や家電の東芝なども加わる大型コンビナートキャンペーンとして展開され、知名度96.87%というヒットを記録。流行色を人々の意識に広く浸透させる契機となった。なお、シャーべットとネーミングされたように、その色はクール感覚主調のパステル調であった。

※シャーベットトーンについてはこちらも参照ください。(過去記事)
1962年春夏ウイメンズカラーとして提案された「シャーベットトーン」のカラーパレット。左端4色はアクセントカラー。


化粧品会社によるキャンペーンも盛んに

1959年(昭和34)のマックス・ファクターに始まり、この頃から化粧品会社によるメイクアップのカラーキャンペーンも盛んに打たれるようになる。資生堂では、1961年(昭和36)の「キャンディトーン」によりカラーキャンペーンを開始し、以後1962年(昭和37)の「シャーベットトーン」、1963年(昭和38)の「フルーツカラー」と続いた。そして1965年(昭和40)からは、以後数年ピンクのシリーズキャンペーンを展開、1965年(昭和40)「チェリーピンク」、1966年(昭和41)「ピンクピンク」、1968年(昭和43)の「ピンクポップ」、1969年(昭和44)「ピンクパウワウ」と続けられた。
このうちの「フルーツカラー」は東レ、西武、東急などとの合同企画であり、この年は合繊メーカーの帝人は「フラワー・モード」キャンペーンを展開し、カラーは「サンライトトーン」を打ち出し、化粧品メーカーのマックス・ファクターがタイアップしている。

東京五輪開催でオリエンタルや東京がテーマに

1964年(昭和39)は東京五輪開催の年であり、各社一斉に、「オリエンタル」や「東京」をキャンペーンテーマに活用している。この年のJAFCAメイクアップカラーのテーマは「オリエンタルハーモニー」であり、資生堂が「メイクアップトウキョウ」、また東レと帝人は同じテ−マ「オリエンタルシック」で展開し、百貨店では十合(そごう)がタイアップしている。

やがてフィーリングキャンペーンへ移行

60年代も後半に入り大量生産機構もゆきわたり、消費者は「物から心へ」と関心を移し始める。この頃になると、百貨店を中心にキャンペーンテーマには、ライフスタイルやフィーリングをうたったものが登場するようになってくる。そして、カラーキャンペーンは化粧品メーカーにより続けられていくものの、70年代に入ると百貨店のキャンペーンの主流は、完全にフィーリングキャンペーンへと移行していくことになった。


*注1 「モーニングスターブルー」とは、1953年のアメリカ映画「初恋」のヒロイン、モーニングスターが着ていた青のドレスが「モーニングスターブルー」と呼ばれ人気となったいたことをヒントに、日本のPR活動において、この青をテーマにしたことで大いに注目された。

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