色のコラム

2022.04.04
 

Fashion Color History vol.1

「JAFCA創立・1953〜」


※「 Fashion Color History」では、過去の「流行色」にまつわる話題を紹介します。今回は「JAFCA創立」の経緯についてのお話です。
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 JAFCA創立の契機は、1953年(昭和28)の春、東京工業大学の稲村耕雄(いなむら やすお)、財団法人・日本色彩研究所の細野尚志(ほその たかし)、都立産業工芸試験所(以下産工試)の寺島祥五郎(てらしま しょうごろう)の三人の話し合いに始まった。

 当時の日本は、戦後経済が立ち直りかけてきて、国内産業や貿易産業が伸展し始めようとしていた時期にあたる。しかし街なかには未だ粗悪な色があふれており、こうした色を改善するために色のグッドテースト運動を起こそうということと、先進国である欧米の色彩嗜好や色彩傾向を研究し、それを輸出製品の色に反映していこうという、主に二つの趣旨から、日本に流行色協会をつくろうということが三人により話し合われた。

 この「グッドテースト」と「輸出振興」という、色の啓蒙運動としての視点のほか、JAFCA色彩活動のもう一つの重要な目的とされたのが、世界に向けての「カラートレンズの設定」という視点である。毎年の流行色の傾向(カラー・トレンズ)を調査と協議によって決め、それをカラーサンプルにして業界に配布し、無駄な生産を省こうという考え方である。

 こうした色彩活動は、JAFCA創立の範となった英国のBCC(ブリティッシュ・カラー・カウンシル=英国色彩評議会)や米国のTCCA(テキスタイル・カラー・カード・アソシエーション)では、当時すでに行われていた活動であった。JAFCA創立時は、ちょうど日本においても化合繊産業や工業製品の大量生産機構の出現により、大量消費社会が始まろうとしていた時期にあたり、消費の回転を進める手立として流行色が求められていた時期に相当する。
 BCCは、30年(昭和5)に創設され、現在では解散している。TCCAは、15年(大正14)に発足しており、後に現在の CAUS(カウス=カラー・アソシエーション・オブ・ザ・ユナイテッド・ステーツ=米国色彩評議会)に改組されている。
 BCCやTCCAのカラーサンプルはウイメンズウエア(現・レディスウェア)カラーの参考にされたが、56年(昭和31)に発足したプロダクツ・インテリア部会の範となったのは、米国『ハウス・アンド・ガーデン』(同名のインテリア雑誌を刊行)から発表されていたリビングカラーであった。

 BCCやTCCAの色彩活動に刺激を受けながら、産工試の講堂内に有志を募り、第一回目のJAFCA発足準備委員会が設けられたのは、三人による話し合いのすぐ後の53年(昭和28)6月29日のことであった。JAFCAがその範としたBCCから、折りしも現英国女王エリザベス2世の戴冠に際しコロネーションカラーが発表されていたことも、JAFCA創立の大きな刺激となった。

 その後準備委員会が数回もたれた後、53年(昭和28)9月4日、日本橋の白木屋百貨店で設立総会が持たれ、発会宣言がなされた。初代理事長には稲村耕雄が就任し、細野尚志、寺島祥五郎の両人は常任理事として創立後のJAFCAを運営していくことになった。この発会式にあたり流行色に関する公開討論会が設けられたほか、同じ白木屋を会場にして、JAFCA創立記念として「20世紀の色彩展」が同時に開催された。
左より、稲村耕雄、細野尚志、寺島祥五郎のJAFCA創立者の3人。
右端は社団法人認可後に理事長となった和田三造。(全て敬称略)

 発足と同じ1953年9月4日付けで、機関誌『流行色』の創刊号が発刊されている。『流行色』創刊号には、日本流行色協会の英名としてのジャパン・ファッション・カラー・アソシエーションの名と、その略称としてのJAFCA(ジャフカ)、現在と同じロゴマークも登場している。

 この創刊号において、事前に選定されていた第1回JAFCAカラーが53年秋冬ファッションカラーと銘打たれ、色コマ添付の形で誌面で発表されている。ウイメンズウエア対象であり、英国BCCのカラーに範を求め、落ち着きのあるモデレ−トトーン中心の23色であった。
 創立当初のJAFCAは会員数も少なく事務所も東京・大田区下丸子の産業工芸試験所内に置いていた。54年(昭和29)10月には、会員数拡大を含め組織の充実が再考され、事務所は赤坂福吉町の日本色彩研究所内に移転した。その後56年(昭和31)にはJAFCAの協会活動の基礎も固まり、初代会長として日本の色彩界の元老である和田三造を迎えた。和田三造は、代表作『南風』で著名な洋画家としての画業のほか、日本における色彩研究と色彩教育のパイオニアとして、日本の色彩界に多大な功績を残したことで知られている。

 和田三造を初代会長に迎えた翌年57年(昭和32)には、JAFCAの色彩活動も軌道に乗り、創立以来のウイメンズウエア部会に加え、新たにメンズウエア部会を創設。前年56年(昭和31)にはブロダクツ・インテリア部会も創設しており、この年は会員数も290社を数えるほどまでに成長していた。
 この年、JAFCAを法人格をもつ団体にしようという気運が高まり、社団法人申請の手続の準備が開始され、翌58年(昭和33)7月4日、通商産業省(現・経済産業省)より待望の社団法人認可が下りた。なお、2011年(平成23)よりは、一般社団法人 日本流行色協会として活動している。
「流行色」誌に掲載された初めてのカラーパレット。1953年秋冬向けカラー。

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