一般社団法人日本流行色協会 JAFCA



はんえりおしゃれノート レポート②

CHAPTER:3 半衿の歴史

衿もとの美・半衿のおしゃれ史

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衿元を美しく見せるという風俗は、わが国でも古くからあり、11世紀の平安時代に成立した「女房装束」にすでに始まっています。襲着(かさねぎ)によって生まれる「襲色目」の美しさは衿元、袖口、裾に見られます。
この伝統は「小袖」が主体性をもつようになってからも受け継がれ、16世紀初めの著作になる武家の公私の心得などを記した『宗五大草紙』には、「三ツえりに物を着候事、児、若衆など、えりを色えて、うつくしく見せ候はんためにて候...」と述べられています。
江戸時代になって、「結髪」が発達し、衿を抜いて着る着付けが一般化したのにともなって、長襦袢に刺繍などを施した半衿が掛けられるようになりました。
江戸時代後期には、京阪では「黒襦子の無地」あるいは「黒縮緬に白糸で細かい刺繍か文様染の衿」を、江戸では「紫の鹿の子絞りや茶の絞りなどの衿」を掛け、娘はもっぱら「緋の鹿の子や絞り」、あるいは「緋縮緬に金糸で網目や麻の葉を刺繍したもの」が用いられていたと『守貞漫稿』に記されています。
明治初期も江戸時代の延長で黒地が好まれたようですが、明治30年前後から半衿への関心が高まり、半衿専門店が京都、大阪、東京に店開きをしました。「耳付の衿地」が織り出されたのも明治29年のことでした。
こうした趨勢は、日露戦争の勝利による国民の意気軒昂とあいまって、衣服の色彩も派手になり、文様も自由奔放なものになってゆきました。38~39年に東京で流行した「元禄模様」はその一例であり、半衿にも元禄模様が一世を風靡しました。
大正3年に勃発した第一次世界大戦に参戦したわが国は、未曽有の好況に恵まれ、衣服の好みも一層派手になりました。半衿はおしゃれのポイントとして全盛期を迎えます。生地の風合い、文様は季節によって使い分けられ、変化に富んだものになりました。また、御大典や歌会始めの勅題にちなんだものなど時流に乗った文様の流行も見られるようになりました。
古くから衿元の美に深い関心が払われてきたおしゃれは、刺繍や友禅の華麗な半衿として幅広い年代の女性から愛されています。

◇半衿の変遷                
 1887年(明治20年) 半衿がきものの装飾品として普及。モスリン半衿5銭、ビロード半衿8銭。
 1889年(明治22年) 友禅半衿流行。正絹無地半衿15銭。
 1890年(明治23年) さがら衿流行。
 1893年(明治26年) 写し友禅半衿が出来る。
 1896年(明治29年) 両耳付き半衿を丹後にて生産。
 1903年(明治36年) 東京・三越呉服店に、はじめて「半衿小物売場」が出来る。
 1906年(明治36年) 友禅半衿全盛。「元禄模様」の流行。
 1916年(大正 5年) 「流行は半衿から生まれる」の標語ができる。刺繍半衿流行。
 1918年(大正 7年) 人絹半衿発売。
 1927年(昭和 2年) 人絹縮緬半衿発売。濃色地から淡色の半衿が流行。
 1928年(昭和 3年) 刺繍半衿が一時年々減少、無地半衿が進出。
 1929年(昭和 4年) 儀式用白縫衿を製造販売開始。
 1954年(昭和29年) ナイロン素材の半衿発売。
 1984年(昭和59年) ニューきものブームとレトロ感覚の刺繍半衿がブーム。
 2006年(平成18年) 荒川創業120年を記念して、大正・昭和初期の半衿を会社所蔵の名品から
                 復刻製作。「懐古衿」として発表。
 2010年(平成22年) 京都綾小路に半衿の専門店「荒川益次郎商店」がオープン。
 2011年(平成23年) 荒川創業125周年。


CHAPTER:4 半衿暦

きもののおしゃれは、「季節を着る」ことですね。きものに暦があるように、半衿にも「半衿暦」があります。素材や色、文様で「ととのえ」、「競い」、「遊ぶ」・・・半衿のおしゃれを楽しみます。

 半衿暦 → haneri.pdf 


CHAPTER:5 いろは四十八文様

「季節を着る」きもののおしゃれごごろは、「文様を着る」ことでもありました。私たちは、きものでの格や個性、情緒などの多くをさまざまな文様に託してきました。半衿に見られる文様も季節や格式にかなったもの、洒落やウィットに富んだものなど見飽きることがありません。一つ一つの文様だけでなく、衿元で合わせる半衿は右と左の柄での「出会いのセンス」も見せ所ですね。

 いろは四十八文様 → iroha.pdf



次回は「はんえりおしゃれノート レポート③」をお届けします。

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