色彩歴史館
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このコーナーでは、戦後の流行色の歴史についてご紹介します。物資の窮乏時代から、現代の日本になるまでに、暮らしの中でどのような色彩が愛され、喜びを与えてきたのかを概観します。下に、時代の社会経済、暮らし風俗、そして主な流行色を年表の形式でまとめました。その時代の主なトピックカラーには、簡単な解説をリンクしてあります。
戦後流行色年表
- 年表内の項目末尾の数字は、西暦年の下2桁を示しています
- 自動車車体色の変遷についても、JAMA 社団法人日本自動車工業会 「自動車の色の変遷、そしてこれからへの提言」にてご覧いただけます
| 1940年 | 社会・経済 |
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| 暮らし・風俗 |
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| 流行色 |
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| 1950年 | 社会・経済 |
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| 暮らし・風俗 |
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| 流行色 |
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| 1960年 | 社会・経済 |
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| 暮らし・風俗 |
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| 流行色 |
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| 1970年 | 社会・経済 |
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| 暮らし・風俗 |
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| 流行色 |
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| 1980年 | 社会・経済 |
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| 暮らし・風俗 |
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| 流行色 |
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| 1990年 | 社会・経済 |
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| 暮らし・風俗 |
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| 流行色 |
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| 2000年 | 社会・経済 |
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| 暮らし・風俗 |
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| 流行色 |
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戦後45年のトピックカラー
シネモードと流行色
終戦後、最初のファッションとファッションカラーのお手本になったのが、アメリカンルックであり、50年を中心に全盛を迎えた。
アメリカンルックに続いて、戦後海外映画が再び上映されるようになると、映画の中のシネモードが、ファッションと流行色のお手本になっていった。 海外映画からヒットした流行色は、60年頃まで続くが、その主なものをあげると次のようになる。
- 「赤い靴」による赤の流行・50
- 「赤と黒」による赤と黒・54
- 「黒い稲妻」による黒・60
「赤い靴」はモイラ・シアラー主演の米のバレエ映画。
「赤と黒」はスタンダールの原作によるジェラール・フィリップ主演の仏映画。
スキーヤーのトニー・ザイラー主演の日独合作映画が「黒い稲妻」。
モーニングスターブルー・58
58年に封切られた米ワーナー映画「初恋」にちなんでヒットしたのがモーニングスターブルーである。
ヒロインのモーニングスターを演じたのはナタリー・ウッドであり、彼女の着用したドレスの少し青緑みの明るいブルーが、モーニングスターブルーと命名されヒットした。
このプロモーションカラーは、映画の配給元の日本ワーナーをはじめとして、ジャフカ(日本流行色協会)、NDC(日本デザイナークラブ)、レナウンなどの共同企画で行われ、60年より百貨店を中心に盛んになるカラーキャンペーンの先駆けともなった。
VCカラー
VCカラーは、ビタミンCカラーの略で、レモンやライムを思わせる色のことである。60年代の高度成長期へのさわやかな期待感を表現したような色が流行した。
慶祝カラー
現在の天皇・皇后両陛下の御成婚(1959年)を祝う意味でJAFCAから発表された。当時はの日本経済はようやく復興の波に乗り、物心ともに向上していく時期にあたる。白黒テレビの時代であり、今日ほど色が注目されていなかった状況であり、慶祝カラーは大きな話題となった。当時のファッション、靴、バッグ等のファッション製品だけでなく、記念行事での装飾や印刷物、ディスプレイの背景色など幅広く使われた。
キャンペーンカラー
60年は消費ブームの年といわれ、活発化した生活者の消費志向に拍車をかけるように、デパートキャンペーンは、消費者にもっとも訴求しやすいファクターとして、カラーが選ばれ、カラーキャンペーンは60年代を通じて各百貨店により、さまざまなテーマで打ち出されていった。その主なものをあげてみたい。
- アメリカンイエローとメディタレニアンブルー(三越)・60
- イタリアンブルー(伊勢丹)・61
- ジュネスシャーベット(高島屋)・62
- シャーベットトーン(西武)・62
- カブキカラー(伊勢丹)・64
- ピーコック革命(伊勢丹)・68
なお、デパートキャンペーンは、70年代に入るとカラーキャンペーンからフィーリングキャンペーン、生活実感キャンペーンへと移行する。
72年の「こんにちは土曜日くん」(伊勢丹)、82年の「おいしい生活」(西武)などは、その代表といえるだろう。
シャーベットトーン・62
カラーキャンペーンの中でも特に大きな話題となったのが62年の、シャーベットトーンである。
シャーベットトーンとは、その名のように、冷たく甘いトーンのパステルカラーを訴求。
シャーベットトーンはジャフカ(日本流行色協会)の婦人服カラーとして発表され、初の大型企業間合同キャンペーンとして展開された。
このキャンペーンには、高島屋、伊勢丹、西武などの百貨店のほか、東レ、資生堂、東芝、不二屋などのメーカーも参列。ほかにアクセサリーや靴、帽子メーカーなども加わり、キャンペーン知名度97.6%というヒットを記録。流行色を人々の意識に広く浸透させる契機となった。
メキシカンカラー
1968年に開催されたメキシコオリンピックにちなんで、当時のインターカラーで選定された色。メキシコの自然を思わせるビビッドな色調で、1960年代の明るい時代感を強く放っている。当時の日本の国民総生産は世界第2位となり、流行語に「ハレンチ」、「ゲバゲバ」、「ハレハレ」があるが、このように陽気な雰囲気が国民に受け入れられたものであろう。
サイケデリックカラー
60年代も終末にさしかかった68年には、大学紛争が激化し、69年は東大安田講堂事件に象徴されるように、断絶の時代と呼ばれた。
ファッションの方も、変革の時代に対応するかのように、67年にメンズウェアのカラフル化を標榜したピーコック革命が起きている。この頃に流行した風潮がサイケデリックである。
サイケデリックとは、麻薬的とか、幻覚的とかの意味で、同時のヒッピー族やロックミュージシャンから始まり、一般ファッションにまで、派手なサイケルックが浸透した。その色づかいは、黄、紫、ピンク、黄緑などの蛍光色調であり、サイケデリックカラーと呼ばれた。
サイケ調は、69年には日常性を視覚化したポップアートや、幻覚的な光の効果によるオップアートの流行に結びつく。当時、ポップアートのイラストレーターとして、ピーター・マックスが人気となり、72年に来日している。
なお、サイケ調やその色づかいは、その後のキッチュやパンクにも影響を与え、受け継がれたともいえる。
ナチュラルカラーとアースカラー
行き過ぎた工業化社会の歪みともいうべき公害が社会問題になりはじめたのが、高度経済成長も末期にさしかかろうとしていた60年代の終わりである。そして高度経済成長にとどめをさしたのが73年のオイルショックである。
生活者意識も、それまでの使い捨て志向から一転して、質素、実用性志向が強くなってくる。そして反工業、反文明意識を背景に自然志向、生活様式の隅々に顕著にみられるようになってくる。
スポーツ、ヘルシーが生活者の関心事となり、健康機器や自然食品がブームとなる。
こうした背景をうけて、70年代の色彩志向は一言で言えば自然色=ナチュラルカラー志向の10年間と総括できそうだ。
ナチュラルカラーと呼ばれる代表的な色域は、未ざらしの天然繊維にみられるような黄みの白、すなわちオフホワイトやアイボリー、生成りなどと呼ばれる色からベージュにかけてが主流となる。
こうした淡い系統のナチュラルカラーに対して、もう少し濃い系統のブラウン系を中心とした色域の色は、大地の色アースカラーと呼ばれる。そしてカーキやオリーブ系もアースカラーのバリエーションとも言える。
70年代は、原色調に比べれば、色みの抑えられた、これらのナチュラルカラー、アースカラー系がファッションに広く進出した10年間といえる。そしてファッションばかりでなく、インテリアのカーテン、カーペットの色、そして壁の色などにもアイボリーやベージュは広く活用採用された。
インテリアでは、80年代を通じてもナチュラルカラー志向が継続し、根強い定番色としての座を守り通している。
これらのナチュラルカラー、アースカラーは、89年以降、新たにエコロジーカラーと命名され再び流行している。
- ナチュラルカラー・70〜
- アースカラー・73
- カーキとオリーブ・75
パステルカラー
ビビッドトーンやブライトトーンを中心にした強い色調の原色に対して、より穏やかで淡い系統のペール、ライトトーンなどの色域を総称してパステルカラーと呼んでいる。色名でいうとピンク、クリーム、スカイブルー、ペパーミントグリーンなどがパステルカラーの主流となる。
パステル調は戦後間もない49年から52年にかけ、原色調の後をうけて流行している。以後パステルカラーが目立って進出した年は何度かあり、特に70年代以降のナチュラルカラーとモノトーンの時代になると、パステル調が色みを主張する唯一の色域のカラーともいえる役割を担ってきた。
78年にはサーファールック、79年のハマトラと、カジュアルファッションの中でもパステルカラーは生き残った。そして70年代末のナチュラル志向のアーモンド(赤みの淡いベージュ)、アボカドグリーン(黄緑)の後を受けて、冷蔵庫の色をはじめとして、パステルカラーの家電商品がピークを迎えたのが84年である。以後家電商品のカラーは再び白返りし、モノトーン家電を経て現在に至っている。
85年は、ローティーンファッション進出にともない、彼らにパステルカラーが好んで取り入れられた。
- パステルカラー・79、85
無彩色のモノトーン
ナチュラルカラー志向の10年間ともいうべき70年代から80年代に入ると、日本は白、黒、グレーの無彩色によるモノトーン志向の10年間を迎える。
その始まりともいうべき80年は、依然ニュートラ、ハマトラファッションのパステル調継続の一方で、モノトーンの色づかいがファッションに進出してきた。
80年のモノトーンは、折からのテクノブームを反映したかのような、人工的な白黒の市松模様や縞模様などのハイテック調主流であった。
82年には、ビギ、コムデギャルソン、ワイズなど東京コレクションのブームが起こり、以後のDCブランドファッション旋風の走りとなった。その色づかいは、ハイタッチな黒を中心としたモノトーンであり、その服を身にまとった一団に対し、カラス族なる名称が生まれた。
以後モノトーンの色づかいとDCファッションは、85年頃をピークに、日本をファッションシーンを席巻した。
このDC旋風により、メンズファッションへの関心も急速に高まり、ヤング男性がDCブランドのバーゲンに早朝から行列を作るさまは、一般紙やTVニュースでも取り上げられ話題となった。
DCブランドを中心に進出したモノトーンづかいは、ファッションにとどまらず、インテリアまでに波及。83年頃話題となったカフェバーやDCブランドのブティック内装に始まり、ホームインテリアにまでモノトーンの色づかいが進出。ついに黒の冷蔵庫や白黒づかいの家電商品が登場するに至った。
このように、80年代を席巻したモノトーンだが、成熟化した消費社会にあって、感性の洗練された生活者が、都会感覚を求めた結果の色づかいであったといえよう。
- モノトーン・80〜
エコロジーカラー
1987年のインターカラーで、エコロジーカラーが提案され、地球環境保全の風潮の中、そのネーミングが注目された。当時は、未だこの言葉は多く使われておらず、その後1989年頃からにわかにマスコミでの言葉として定着した。
エコロジーとは本来「生態学」の意味だが、エコロジーカラーとは、生態系が培われる自然の大地や自然素材の色合いを思わせる色として使われた。色域としては、ベージュを中心とする低彩度のブラウン系が代表となる。
エコロジーカラーは、1987年のインターカラー発表後、主にファッション分野、インテリア分野を中心に1974年以降のナチュラルカラーに次ぐ流行を呈し、第2次ナチュラルカラーとも言うべきブームとなり、現在に至っている。