ポピュラーミュージックとファッションカラー(後編)

音楽も消耗品となった80年代
80年代に入るとデジタル・テクノロジーが進化し、楽器が弾けない素人でも、簡単に音楽が作れる時代になりました。また、レコーディングもデジタル化、メディアもデジタル化(LPからCDへ)されたことで、安易なポップスがどんどん増産され、もはや音楽は使い捨てだという気分まで蔓延してきました。さまざまなジャンルの音楽が無差別に流れるヒット・チャート番組。流行のサイクルも短く、それに伴うファッション・トレンドの変化も激しかったのが、この時代の特徴です。
80年代初頭、極度に破壊的となってしまったパンクの流れを当初の知的なイメージに戻したニュー・ウェイヴと、シンセサイザーをメインにしたピコピコ・サウンドのテクノ・ポップが音楽シーンの主流となりました。ファッションもまたデジタル信号のように単純化し、白と黒のモノ・トーン、未来的でスマートなものへと変化しました。
この時期、音楽シーンで日本のYMO(イエロー・マジック・オーケストエラ)が世界的にブレイクしたように、ファッション界でも日本のコム・デ・ギャルソン、ワイズといったブランドが世界的に注目を浴びるようになっていました。
イギリスほどパンクが話題にならなかったアメリカでは、70年代後半から、ジャズ/ロック/ファンクを融合した新しい音楽、フュージョンが流行し、その進化型ともいえるAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)が70年代末期から80年代初頭に現れます。日本では、当時ブームとなっていた「カフェ・バー」でAORを聞きながら語らい、その後ディスコで朝まで踊るというのが当時のおしゃれな若者スタイルでした。また、ニュー・ウェイヴ~ニュー・ロマンティクス系のヒット曲の多くが、ユーロ・ビートという、もともとはファンクやR&Bが持っていたリズムを表面上だけマネたものであったため、80年代中頃には、しだいに本物のブラック・ファンク系のアーティストが台頭し、ディスコ/ダンス・ブームへも発展しました。80年代後期には、それがさらに進化し、ブレイク・ダンス、ラップ・ミュージック/ヒップ・ホップへとつながってゆきます。
一方、ニュー・ウェイヴの躍進によりシーンから追い出された、所謂オールドウェイヴのハード・ロックも、ヘヴィ・メタルに姿を変え、その独特のヘヴィメタ・ファッションと共に80年代半ば頃から人気を盛り返しました。
また、MTVや映画のなど、ビジュアル・メディアを通じて曲が大ヒットし、それまでとは比較とならないほどのビッグ・セールスをあっさりと記録してしまう現象が起き始めたのも80年代の特徴でしょう。
日本のポピュラー・ミュージック・シーン
80年代の日本のポップ・シーンは、ディスコとニュー・ウェイヴ、ヘヴィメタルなどが入り乱れ、テレビを中心に活躍するアイドル歌手と、テレビにはあまり出演せずレコードとライヴで勝負する本格派のミュージシャンの分離が顕著になりました。
前者では松田聖子、中森明菜、田原俊彦、近藤真彦などが大活躍、その後ニュー・ウェイヴやニュー・ロマンティクスのファッションを取り入れたチェッカーズや吉川晃司なども出現。
後者では、日本のみならず世界中でブレイクしたYMOやラウドネスをはじめとして、BOOWY、B'z、X Japanなど本格的な世界レベルのアーティストが数多く生まれています。
またその中間層として、ニュー・ミュージックをさらに進化させAORやロックを巧みに取り入れた、山下達郎、サザン・オールスターズ、稲垣潤一、寺尾聡らも爆発的な人気を得ました。
ニュー・ウェイヴ(New Wave)とニュー・ロマンティクス(New Romantics)
パンク以前の様式化したロックをオールド・ウェイヴとした場合のニューであり、音楽的にはなんでもありというのが、ニュー・ウェイヴの実態でした。時にはパンクまでが古いとされ、エレ・ポップ、テクノ・ポップ、ノイズ・ミュージックなど、行き着くところエレクトロニクスを感じさせるものが主流となっています。
ファッションにおいてのニュー・ウェイヴも既成概念を覆し、まず色のない白と黒のモノトーンから始まり、未来的、もしくは常識を越えたスタイリングが好まれました。
具体的には、もみあげをすっきり剃り落とし、前髪を長く垂らし、うなじは刈り上げるテクノ・カットといわれる髪型。その上、男性が髪の一部分染めてみたり、スカートをはいてみたり、化粧をしてみたりと、よりユニセックス的ファッションが強まりました。
ニュー・ウェイヴが大衆化し、アイドル化したニュー・ロマンティクスでは、ゲイ・カルチャーも巻き込み、さらにファッショナブルな男性を急増させました。当時日本のチャートを賑わせていたチェッカーズも、ニュー・ロマンティクスからの影響が強かったと言えるでしょう。
ディスコ・ファッション(Discotheque Fashion)
アメリカのチャートを席巻したイギリスのニュー・ロマンティクス系のアーティストたちが、しだいに売れ線のエレクトロ・ダンス・ミュージックへとサウンド方向を集中させると、本場のダンス・ミュージックともいうべきアメリカのブラック・ファンク系アーティストたちも、少しロックっぽさを取り入れると売れることに気がつき、80年代半ば頃にはユーロ・ビートとファンクが入り乱れたダンス・ミュージックの大ブームが巻き起こりました。
特にMTVなどの映像メディアを上手く使ったマイケル・ジャクソンやマドンナの人気と、映画「フラッシュ・ダンス」の大ヒットなどから、日本でもレオタード、レッグ・ウォーマー、スパッツ、レザー・ジャケット&パンツ、チェーンをじゃらじゃらといっぱい着ける「マドンナ・ルック」などが流行しました。
ヘヴィメタ(Heavy Metal)
ハードロックはパンクやニュー・ウェイヴによって追いやられたオールド・ウェイヴではありましたが、まだまだ音楽的には根強い人気があり、一部のマニアからは熱狂的に支持されていました。しかし、リスナー側の欲求とは裏腹に、市場ではトレンドに乗り遅れたバンドは次々と契約を切られ、ハードロック・ファンが聞く音楽がなくなってしまったのです。そこで、今度はそういったリスナー側から「聞くものが無いなら、自分たちで演奏してしまおう」という気運が起こり、インディーズ・シーンを中心にそうして出来たバンドたちが活発に活動するようになりました。彼らはファッションも、長髪(ロンゲ)にブーツといった70年代ロッカーズ・スタイルに革ジャンやブレスレットなどで少しパンクっぽさをプラスし、「伝統的だけどちょっとだけ新しい」をイメージさせる分かりやすいものでした。
イギリスでは80年代の初頭、そういったハードロックの様式美を凝縮したようなサウンドのバンドが、インディーズ・シーンで着実に人気を高めるようになると、NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)という新しいネーミングで、それらの若いバンドたちを売り出しはじめました。
ところが、それはむしろアメリカですんなりと受け入れられ、80年代半ば頃までにはアメリカの西海岸からも同様のバンドが続々とデビューし、全米規模の一大ブームを巻き起こしました。ロンドン・パンクの洗礼を受けていないアメリカでは、ヘヴィメタは新しいロックとして認識されたのです。
ヘヴィメタ・ファッションは一種の制服的側面もあり、現在でもファンなら一見してすぐにそれと分かる格好をしています。
レゲエ(Reggae)
レゲエ自体は70年代から一部では人気がありましたが、80年代にニュー・ウェイヴ系のバンドたちが好んでレゲエのリズムを取り入れることが多くなったため、徐々にイメージもモダンなものへと変わり、いつしかそのファッションまでが若者たちに取り入れられるようになっていました。
日本でも85年から「ジャパン・スプラッシュ」「レゲエ・サンスプラッシュ」という大きなレゲエ・イベントが相次いで開催されるようになり、80年代の末期にはドレッド・ヘアーやニット・キャップ姿の日本人もかなり見かけるようになりました。
レゲエ・ファッションは色彩も鮮やかで、特にレゲエ発祥の地ジャマイカの国旗の色であるグリーン、イエローに、原色調のレッド、ブルーなどを組み合わせるものが主流です。
ヒップ・ホップ・カルチャー(Hip Hop Culture)
「ラップ」、「スクラッチ」「DJ」、「ペインティング」、「ブレイク・ダンス」などがヒップ・ホップ・カルチャーの大きな特徴で、発生起源は70年代にまで遡り、ニューヨークのディスコに出入りする黒人たちの間から生まれたものだと言われています。
ヒップ・ホップが世界的に脚光を浴びるのは1986年、ラップ・グループであるランDMCがクラシック・ロックの象徴であるエアロスミスの曲「Walk This Way」をカヴァーし、大ヒットを記録してからのこと。その直後には白人グループであるビースティ・ボーイズもメジャー・ヒットを放ち、ラップ・ミュージックは一挙にアメリカ全土を巻き込むブームとなりました。
ヒップ・ホップ系アーティストたちは、スポーツ・メーカーのウェアをうまく着こなすことによって、ダンスに適した機能性とファッショナブルなセンスを両立させた新しいファッションを提案し、それまでダサイと思われていたスポーツ・ウェアのイメージを一新させました。
特にランDMCが着ていたAdidasのジャージやスニーカー、ゴールドのアクセサリーが世界中で大人気となりました。
- 1980年代に活躍したファッショナブル・ミュージシャン
- ロック:デヴィッド・ボウイ、ボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)、ジョージ・マイケル(ワム)、リマール(カジャ・グー・グー)、スラッシュ(ガンズ・アンド・ローゼズ)、氷室京介(BOOWY)、KONTA(バービーボーイズ)
- テクノ&ポップス:高橋幸宏(YMO)、佐藤チカ(プラスチックス)、吉川晃司、藤井フミヤ(チェッカーズ)
- ファンク&ディスコ:マドンナ、マイケル・ジャクソン、MCハマー
- ヒップホップ:ランDMC
- レゲエ:ジェネット・ケイ
インディーズが主流となった90年代
楽器を使いこなせなくてもプログラミングを覚えるだけで音楽を作ることができるといった環境は、誰にでもセンスさえあればミュージシャンになれるというチャンスを与えることにもなり、80年代から地下シーンではさまざまな新しい形態の音楽が生まれるようになってきました。これに対応するように、レコード会社のあり方もこれまでのものとは異なり、インディーズ・レーベルと呼ばれる、小規模の地域密着型または一部のジャンルのコアなファン向けのレーベルが勢いをつけ、メジャーな動きとは別のマーケットを形成するようになって行きました。そんな中から生まれた、ジャンル無視の「自分のやりたいようにやる」という発想の音楽をオルタナティブと呼びます。
このオルタナティブ・シーンから登場したアメリカ西海岸のミュージシャンたちの音楽を特にグランジ・ロックといい、彼らのみすぼらしい着こなしと重ね着がグランジ・ルックと呼ばれ、90年代初頭、世界的に注目されるようになりました。
しかし、ポピュラー・ミュージックの主流は、もはやロックからヒップ・ホップへと完全に移行していて、その流れをグランジ・ロックが引き戻すことはありませんでした。日本でもクラブ(ディスコはお店がダンス用に照明やステージを用意したもので、クラブはレンタル・スペースに仲間が集まるといった感覚の違いがある)が次々と開店し、ストリートでもDJファッションやスケーター/ボーダー・ファッションにあふれました。グランジの流れはむしろ近年になって穴あきや擦り切れジーンズとして受け継がれています。
こういったインディーズ・シーンが注目を集めるようなった同時期、メジャー・シーンでは、90年にマドンナが大ヒットさせた「ヴォーグ」から、ボンデージ・ファッションが注目を浴びるようになります。
さらに90年代半ばに入ると、音楽だけでなく世の中全体に革新的なトレンドが生まれにくくなったため、さまざまな過去のトレンドの焼き直し現象も起こりました。ファッション界においてもそれは同様で、「ネオ○○スタイル」というのが横行しました。
その中には、ポピュラー・ミュージックから派生したさまざまなトレンドも含まれています。ただし、昔のトレンドをそのまま用いるのではなくエッセンスとしてスマートに取り入れるというスタイルが主流。主なものでは、ネオ・ネオ・モッズ=ニュー・モッズ、ネオ・ヒッピー、ネオ・パンクなどがあります。日本では少し遅れて、2000年代に入りレトロ・ブームと共にこれらのファッションがストリートでも入り交じるようになりました。
日本のポピュラー・ミュージック・シーン
日本のポップ・シーンでは、90年代に入るとディスコへ出入りする層の低年齢化によって、「パラパラ」が流行するなど独自の進化を始め、ユーロビートが全盛となりました。お茶の間では、小室ファミリー(小室哲哉プロデュースのアーティスト群)がそのブームにのって大人気となり、中でも安室奈美恵の影響力は凄まじく、彼女のマネをするコギャルたちが「アムラー」と呼ばれる社会現象にまでなりました。アムラーは細眉に顔グロ、茶髪、厚底ブーツなどが特徴。
この時代あたりから、欧米のポップス・シーンの流行と日本のポップス・歌謡シーンの流行にかなりの隔たりが出始めます。しかし、それは音楽の話で、ストリート・ファッション自体には相変わらず欧米のポップス・シーンからの影響が色濃く出ています。
ボンデージ・ファッション(Bondage)
ボンデージとは元々は50年代にボンデージ・アートとして開花したSM的スタイルで、その後70年代や80年代にヴィヴィアン・ウエストウッドやジャンニ・ヴェルサーチらのデザイナーによってファッションとして取り上げられたこともありますが、一般的にはそれほど浸透しませんでした。しかし、90年にマドンナがヒットさせた「ヴォーグ」から、一躍ヴォーギングVogueing(黒人ゲイから派生したダンス)とボンデージ・ファッションが一般にも注目を浴びるようになりました。
当時マドンナの衣装を担当していたジャン・ポール・ゴルチエは、コーン・ブラ(円錐形のブラジャー)とコルセットを一体化したものや、下着ルックなど、エレガンスで下品なS&M的ファッションを次々と生みだし、マドンナを広告塔としてボンデージ・ファッションを世界に広めることに成功したのです。
スケーター/クラブ系ファッション
80年代末期、アメリカ西海岸のスケートボードを楽しむ連中の間では、スラッシャーと呼ばれるスラッシュ・メタル(ヘヴィメタの進化型でよりリズムが高速なもの)好きとハードコア(パンクの中でもより過激なもの)好きが混交していましたが、彼らはラップが流行るとそれも好んで聞きはじめました。
そんな環境の中から生まれたのがミクスチャー・ロックで、それらすべての特徴を兼ね備えた音楽スタイルでした。それに同調するようにスケーターたちのファッションも、ヘヴィメタやハードコアのファッションにラッパーの一部を取り入れ、独自のスタイルを築き上げて行きました。特徴は、オーバーサイズのプリントTシャツにネル・シャツを重ね着し、VANSやAIR WALK製のスニーカー、ダボダボのバミューダー・パンツ、髪は長髪でキャップを被るといったもの。
また、このスケーター・ファッションから逆に影響を受けたDJ/ラッパーたちも、オーバーサイズのシルエットを取り入れたため、一挙にアメリカ全土でブレイク。それが飛び火して、90年代初頭には日本でもダボダボ・スタイルが大流行しました。クラブへ通う若者を中心にしたズボンずり下げスタイルも、当時の黒人ラッパーやDJたちの流行をマネたものです。
スケーター・ファッションとクラブ系ファッションの違いは、スケーターがキャップを被り白いスニーカー、白やグレイッシュなカラーの上下服なのに対し、クラブ系はバンダナやヘアバンドまたはキャスケット、ハンチングなどの帽子に黒のスニーカー、モノトーンの上下が目立ちました。
グランジ・ルック(Grunge)
80年代末期よりインディーズ・シーンで細々と活動していたニルヴァーナが、メジャー・レーベルへ移り90年に放ったセカンド・アルバム「ネヴァー・マインド」の大ヒット(全世界で800万枚)により、そのファッションと共にグランジとして世界中から注目されることとなりました。
グランジとは「汚い」「醜い」などのスラングで、そのファッションは、ニルヴァーナのヴォーカリストである故カート・コバーンに代表される、ヒッピーとスケーターをミックスしたようなボロボロ・ルックでした。擦り切れたカーディガンに穴の開いたGパンやスニーカー、大胆な重ね着(レイヤード)と思い切った着崩しで、わざと汚く見せるのがカッコいいとされています。これは、当時の他のきらびやかで派手なステージ衣装のミュージシャンたちの中にあってはとても新鮮に見えました。
93年春夏のニューヨーク・コレクションには、マーク・ジェイコブスやアナ・スイ、クリスチャン・フランシス・ロスらもこのグランジ・ルックを取り上げ大きな話題となっています。
当時日本においては、ボロボロの汚い着こなしよりも、レイヤードのみを楽しむモード系寄りのきれいめグランジ・ルックが流行しましたが、カート・コバーンの没後その音楽とともにグランジ自体が再評価(パール・ジャムなどの活躍もあった)されるようになると、ボロボロのジーンズや汚らしい(実際に汚いわけではありません)重ね着が流行するようになりました。
さまざまなネオ・スタイル
情報の多様化で、人々の趣味趣向も多様化した90年代半ば頃になると、世の中の全員が振り向くような大きなブームは起きにくくなりました。また、デジタル化やコンピューターの普及にによって簡単にコピーが製作できる時代ともなり、過去の良い部分を集めてコラージュ的に別な作品を作り上げてしまうというお手軽な方法も増え、新しいトレンドもなかなか生まれない状況に陥ってしまったのです。
音楽やファッションも例外ではなく、この頃からしだいにネオ○○という過去の焼き直しが盛んに行われるようになりました。
主なものでは、90年代半ばのブリット・ポップ(これ自体がブリティッシュ・ビートやロンドン・ポップの焼き直し)から流行したニュー・モッズ=ネオ・ネオ・モッズ(95年〜96年のモード界ではグッチ、アナ・スイ、ポール・スミス、カルバン・クラインらもこのブームに便乗し、モッズ・リバイバル・ブームをさらに広めた。)、ネオ・ヒッピー(黒人ロッカーであるレニー・クラヴィッツが普及に一役買っている。)、ネオ・パンク(94年春夏コレクションでジャン・コロナやジャン・ポール・ゴルチエ、ジョン・ガリアーノらが紹介)などがあります。
また、ニュー・モッズなどの影響で90年代後半にはファッションにも色返り現象がみられ、特にメンズのストリートでは80年代半ば以来となるキレイな色づかいも目立つようになりました。

- 1990年代に活躍したファッショナブル・ミュージシャン
- ロック:カート・コバーン(ニルヴァーナ)、ベック、ビョーク
- ポップス:ピンク、ポーラ・アブドゥル
- ファンク&ディスコ:マドンナ、ボビー・ブラウン、ジェイ・ケイ(Jamiroquai)
- ヒップホップ:ビースティボーイズ、2PAC、パブリック・エネミー、KRS-1
- レゲエ:ジェネット・ケイ
- 邦楽:安室奈美恵、hitomi
ロック・リバイバル - 2000年代から現在
1999年、伝説のサイケの祭典ウッド・ストック・フェスティバル99が開催され、2000年にサンタナがグラミー賞8部門を独占するなど、2000年前後からロックの勢いが復活してきました。しかし、その原動力となっているのは新しいアーティストたちではなく、60~80年代に活躍した往年のロッカーたちだというところが何か寂しい気がします。
しかし、それら往年のロックスターたちの活躍により、若者へもロック自体への関心が高まったことは確かで、渋谷のクラブではサンプリングされたレッド・ツェッペリンやデヴィッド・ボウイの曲の一部が実際に使われ、若者がそれに合わせて踊るというおかしな光景を目の当たりにしたり、ストリートでも、当人はまったく知らないであろうスワン・ソング(レッド・ツェッペリンのレーベル)のマークがプリントされたTシャツを着ているティーンの少女を見かけたりするようになりました。
そしてついに2002年、アヴリル・ラヴィーンという新世代女性ロッカーの大スターが出現し、いよいよ本格的にロックが音楽界だけでなく、ファション界にも影響力を取り戻しました。彼女のデビュー・アルバムは世界でなんと2,000万枚(日本で1番売れたB'zのアルバムで約400万枚、R&Bの女王ビヨンセでも1,100万枚)という驚異的セールスを記録し、2004年にリリースしたセカンド・アルバムも全米No.1に輝く大ヒットを記録、世界中でアヴリル旋風を巻き起こしました。
彼女のファッション・スタイルはズバリ、「ゴシック+パンク+スケーター」。ロック界でのゴシック・ファッションは80年代のパンク/ニュー・ウェイヴ系のミュージシャンの中から生まれたスタイルですが、2003年アメリカのエヴァネッセンスがファッション/サウンド共にこの形態を採り入れ、1,500万枚というビッグヒットを放ったことで、一般にもゴシック人気が広まりました。日本ではゴスロリと混同され偏見視する傾向が強かったのですが、中島美嘉がこのスタイルを採り入れ紅白歌合戦にまで登場したため、今ではすっかりサブカルチャーとして定着したようです。
また、2005〜2006年頃のイギリスの音楽シーンでは、80年代っぽい音のアーティストが人気が高まり、そのニュー・ウェイヴ的なファッションも話題となりました。2006年春夏のパリ・コレクションのディオール・オムにもその影響がみられます。
一方アメリカでは、ビヨンセをファッション・リーダーとし、依然R&B/ダンス・ミュージック系の勢いも強く、相変わらずクラブ系ファッションが根強い人気を得ています。それでも最近では色使いが派手なものを多く見かけるようになりました。また、アヴリル・ラヴィーンやエヴァネッセンスなど、ロック系の台頭とゴシック/パンク系ファッションもやはり見逃せません。
GAP原宿店2006年春の店頭 気がつけば、近頃ファッション雑誌や街の店頭でも「ロック」の文字をよく見かけます。80年代後半あたりから続いてきたラップ/ピップホップ・ミュージックの勢いも、そろそろ沈下し、ロックを知らない世代からは、ロックという違うジャンルの音楽やファッションが、パンクやヘヴィメタ、サイケ、ニュー・ウェイヴといった細かいカテゴリーには関係なく新鮮に見えるのかもしれません。
音楽から生まれたファッションとは、元々ストリート・ファッションであり、モード系ファッションに対するカウンター・カルチャーであったのかもしれません。ようするに「俺たちはコレが好きだからコレを着る」といった主張がありました。しかし、ストリート・ファッションが主流になってしまった現代では、モードがストリートを追うといった逆の状態に陥いり、音楽との関係も希薄になっています。
また、i-podに好きな曲だけを転送して聞く時代、昔のように特定のジャンルや特定のアーティストだけを熱心に聞くこともなくなり、そのファッションにまでのめり込むリスナーも少なくなっているのではないでしょうか。またその反面、その音楽が好きでなくても、ファッションとしてその一部を取り入れる人も増えています。近頃の「ソフト・パンク」などはその象徴でしょう。パンク・ブームをリアル・タイムで経験していた人からすれば、「パンクがソフトになってどうする」という気もしますが・・・。
そして、今注目されるのが「ディスコ・ファッション」。イギリスでブレイクしたシザー・シスターズ(彼らはアメリカ人)やノー・ダウトからソロに転向し成功したグウェン・ステファニーなどが共にディスコ調のダンス・ミュージックと派手な衣装で人気を博しています。もし今後、欧米でディスコ・サウンドが流行するようなことがあれば、日本でも、お兄系やセレブ系・ファッションからの流れで、テイストが似ているこの手のディスコ・ファッションもあっという間に広まりそうです。
R&Bファッション
1940年代に生まれたR&B(リズム&ブルース)は、60〜70年代にはソウル・ミュージック、80年代にはブラック・ミュージックと名前を変え、90年代頃からまたR&Bという呼び方が主流になっています。
80年代末期〜90年代中頃にかけてはブラック・ミュージックの主流が完全にヒップ・ホップへ移行し、チャート上位をラップ/ヒップ・ホップ・ミュージックが独占する状態が続きました。しかし、徐々に他のジャンルのアーティストも巧くラップ/ヒップホップ・テイストを取り入れるようになり、2000年代に入ると、その中からメガ・ヒットを飛ばすアーティストが現れました。中でも1990年からディスティニーズ・チャイルドで活躍する(グループ結成当時9歳という若さ)ビヨンセは、ソロになってからも大ヒットを連発し、いまだ不動の人気を誇っています。彼女のファッションは、元祖「エロかっこいい」とも言える、セクシー&ビューティーなスタイルで、日本のミュージシャンたちにもかなりの影響を与えました。その他にもアリシア・キーズ(Alicia Keys)やクリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)など、人気はキュートさとエロティシズムが同居したスタイル。
ゴシック/ゴス(Gothic/Goth)
ゴシック・ミュージックの起源は、2000年前後から日本のサブ・カルチャーとして生まれたゴスロリ(ゴシック&ロリータ)や、中世のゴシック思想とはほとんど無縁のものです。
ロック界でのゴシック・ファッションは、80年代のパンク/ニュー・ウェイヴ系のミュージシャンの中から生まれたファッション・スタイルで、90年代初頭にマリリン・マンソンが奇抜なステージ衣装と極端な厚塗りメイクで有名にしました。その後、そのスタイルはゴシック・メタル・バンドたちに引き継がれ、90年代末期に現れたナイトウィッシュ(ヨーロッパNo.1バンド)の女性ヴォーカリスト、ターヤ・トゥルネンなどによってロック界のブームとなりました(彼女はゴスロリ系も取り入れていました)。
さらに2003年、アメリカのゴシック・メタル・バンド、エヴァネッセンスが大ヒットを放ち大きな話題となりました。ファッションとしてのゴシックは、吸血鬼やコウモリ、黒いバラ、廃墟などをモチーフにしたコワモテ風で、メイクも少し病的にわざと顔色を悪くして目の周りを黒くしたり、眉を極端に細くしたりするのが特徴。
モード界でも2005年秋冬にヴィクトリアン・スタイルとしてゴシックっぽいファッションが流行したり、2007-2008年秋冬のパリ・コレでアレキサンダー・マックィーンがゴス・ムード満点のダークサイド・スタイルを見せていました。
ラフォーレ原宿の地下にできた「Underground Floor」でも、ゴスロリやパンク系の「グロかわいい」商品が並ぶセレクト・ショップが話題となっています。
2006年にはエヴァネッセンスのセカンド・アルバムが発売され、こちらも全米No.1を始め世界13ヶ国で初登場1位という、とてつもない記録を打ち立てました。原宿にはゴシック・ガールと呼ばれる集団が集結し、このエヴァネッセンスのヴォーカリスト、エイミ・リー(Amy Lee)を教祖のように崇めているようです。まだまだこのゴシック人気は続くのかもしれません。
モード・パンク、きれいめロック・ファッション
90年代末期あたりからイギリスではニュー・モッズの流れから、パンク~ニュー・ウェイヴの流れへと流行が移り、2000年代にはフランツ・フェルディナンドやカサビアン、オルソンといった、80年代っぽいサウンドのスターが現れるようになりました。彼らのファッションは当時のニュー・ウェイヴ・ファッションを少し着崩したようなスタイルで、髪も短め、色づかいもモノトーンやブライト・カラーが多く全体的に小綺麗です。
また、モード界でもアナ・スイが2007年春夏ニューヨーク・コレクションでパンク・テイストを取り入れ、「モード・パンク」というキーワードを打ち出すなど、スパイス的にロック・ファッションを使うスタイルが話題になっています。
こういった影響からか、日本のファッション雑誌や一般誌でも、最近「ロック」を特集する記事が目立ち、実際、原宿や渋谷のストリートでも、ソフト・パンクやロック・テイストを取り入れたファッションをする人をよく見かけるようになりました。
近年では、日本のストリート・ファッションが世界的に注目され、海外のミュージシャンやファッション・デザイナーを通して逆輸入されるケースも少なくありません。
2004年〜2006年にロングラン大ヒット(全米5位)を記録したグウェン・ステファニー(Gwen Stefani)のアルバム「Love.Angel.Music.Baby. 」では、日本の高校生の言葉(「ちょー最高!」「こわがってんじゃねー」など)を効果音的に取り入れるなど日本のストリート・カルチャーを紹介。中には「Harajuku Girls」という曲まで収録されています。グウェンは自身がヴォーカルを務めるノーダウトというオルタナティブ・バンドでも活動、また自身のファッション・ブランド「L.A.M.B」も持ち、ジョン・ガリアーノとのコラボレーションなどでも知られるファッショナブル・ミュージシャンです。
また、2006年には東京という都市にインスパイアされてつけた「TOKIO HOTEL」という名前のドイツのバンドがヨーロッパ各地で大ヒット(ドイツとオーストリアでシングルがNo.1)を記録し話題になりました。ヴォーカルのビルとギターのトムは双子で2006年現在まだ17歳の若さです。彼ら自身は実際に日本へ来たことは無いそうですが、ドイツでは日本のビジュアル系バンドやファッションが有名だとのことです。
80年代のディスコ・ブームを経験した親たちが40歳代にさしかかり、その子供たちがそろそろハイティーン〜20歳代のファッション・トレンド・リーダーになりつつあります。2000年代初頭に70年代ロックの巨匠たちが相次いで復活し大活躍したように、おそらく今後80年代ディスコ/ダンス・ブームの頃のアーティストが次々と復活し、その子供世代を巻き込みながら人気を取り戻す可能性が濃厚です。すでに現在、マドンナが全盛期のようなダンス・チューンで復活し大活躍、バナナラマも再結成し現在ニュー・アルバムの制作中とのこと。スポーティでヘヴィメタリックな彼女たちのディスコ・ファッションも復活するのだろうか!?
- 2000年代に活躍したファッショナブル・ミュージシャン
- ロック:エイミー・リー(エヴァネッセンス/vo)、アヴリル・ラヴィーン、フランツ・フェルディナンド
- ポップス・ディスコ:グウェン・ステファニー、ブリトニー・スピアーズ、バック・ストリート・ボーイズ
- R&B&ヒップ・ホップ:ビヨンセ、ファーギー(ブラック・アイド・ピーズ)、アリシア・キーズ
- 邦楽:中島美嘉、倖田來未、浜崎あゆみ