ファッションの街「原宿」を知る
Jafca Color Clubまち歩きシリーズの第3回目では、「原宿」のまち歩きを行いました。
それに先立ち、原宿の歴史や、どうして原宿が今のようなストリートファッションの最先端基地となり得たのかを探るため、原宿で育ち、現在でも原宿を拠点に活躍されている5人の方々から事前にお話しをお伺いました。その内容をまとめながら「原宿」のまちについての知識を深めていきましょう。
5人の方々はそれぞれ以下の通りの豪華メンバーです。
原宿神宮前商店会 事務局長 井口泰さん、同じく商店会 副会長 神崎孝治さん、株式会社ロイド 代表取締役社長 並木豊明さん、株式会社ジム 専務取締役 早川千秋さん、そして日本のスタイリストの草分け的存在として、最も活躍していた頃のデヴィッド・ボウイの衣裳も担当していた高橋靖子さん(ヤッコさんの愛称でも知られています)。
まずは、子供の頃より原宿で遊び育った神崎さんより、当時の原宿の様子や発展して行く過程の話をお聞きしました。
昭和30年代、文教地区に認定される以前の原宿には、竹下通り辺りに風俗店もポツポツとあり、田畑も広がるのどかな田舎町の様相だったようです。
また、東郷神社のあたりは森で、竹下通り周辺には狸もいたとか!
その当時の原宿の中心地は、現在ウラハラといわれる地区で、通称プロペラ通りと言われている通りがメインストリートの「穏田仲通り」でした。
「穏田」というのは、この地区の昔の地名です。「原宿」という住所は、もう少し北にあり、現在デザインフェスタなどがある、明治通りより西、竹下通りより伸びてきた道路の北側にあたります。
その後、原宿は文教地区に認定され、風俗店などを排除し、他の繁華街とは違った発展を遂げるわけですが、激変するのは1964年旧アメリカ軍の宿舎「ワシントンハイツ」(現・代々木公園)が東京オリンピックの選手村として生まれ変わってからのこと。
これにより、原宿に海外の人たちが行き来するようになると、そのファッションなどを真似た「原宿族」が出現。その後もセントラルアパートを中心におしゃれな街へと急変貌します。
つづいて、高橋さん、並木さんからは、原宿が日本のファッションの中心地となってゆく、「竹の子族」出現前後のお話しをお伺いしました。
現在GAP(2011年には移転予定)の入っているビルの場所にあった「原宿セントラルアパート」(1958年完成)には、昔から文化人や画家、音楽家などがたくさん住んでいたといいます。東京オリンピック後に、原宿がおしゃれな街へ変貌すると、ますます人気が高まり、しだいにもっと芸能寄りのミュージシャンや写真家、コピーライターなどが移り住むようになり、ファッション関係者もたくさん出入りするようになりました。
そして、1970年にはセントラルアパート脇に現在のカワイイ系ファッションの起源ともなる「MILK」がオープン。DCブランド・ブームを巻き起こすBIGIも表参道にオープンしています。
当時、山本寛斎さんやコシノ・ジュンコさん、川久保玲さんなども細々と手作りで洋服を作っては、原宿界隈のお店に納品して回っていたといいます。
また、4℃なども、路面でアクセサリーを細々と売っていたそうです。
1977年には、アース・デーを記念して表参道全域で歩行者天国が始まります。すると、どこからともなく竹の子が生えてくるようにストリート・パフォーマーたちがたくさん出現。その特異なファッションの発信地は、ウラハラ地区にあったお店だったそうで、これが「竹の子族」の原型といえる集団でした。
歩行者天国は、すぐに明治通りから東、つまりウラハラ地区側では廃止されましたが、残った代々木公園脇から明治通りまでの地域では、「竹の子族」や「ローラー族」がすごい勢いで増殖し、ニュースにもなる社会現象となりました。この頃、竹下通りにもお店がたくさんできはじめ、JR原宿駅の周辺も栄えて行きます。
竹の子族の勢いが一段落するのと前後して、DCブランド・ブームがやってきます。もちろん、古くからDCブランドのお店が建ち並ぶ原宿では、全身真っ黒なDCブランドの服に身を包んだ「カラス族」もたくさん出没しました。
90年代はストリート・ファッションの中心地が渋谷に移ってしまった感じがありますが、その間の原宿の様子はどうだったのでしょう? また、最近では若者が渋谷から原宿に再び戻ってきているような気がします。そのあたりについても、最後に、早川さんよりお聞きしました。
渋カジが全盛の頃、原宿には上野・御徒町あたりの古着屋が進出し、古着や海外から直輸入した珍品・希少価値のグッズを売るお店が急増しました。
中には、希少価値のスニーカーなどを手に入れ、路上でそれをまた転売し始める人まで現れ、ウラハラの遊歩道(原宿キャットストリートとも呼ばれる)には、勝手に露店を広げるそういった人たちがたくさん集まりました。
一方、「MILK」など原宿で育ったフェミニン系のブランドたちも、70年代以来、進化しながら脈々と受け継がれ、この頃、ロリータ・ファッションとして開花します。この流れは、さらにゴスロリへと発展します。
現在の原宿には、こういった長い歴史が詰まった、さまざまなファッションが同居しています。古着を上手くキレイに着こなすサロン系、裏原ガーリー系の人や、ゴスロリ、パンク、ロックなどの過激ファッション系、新たなスタイルを模索するフェアリー系や姫ギャル、ギャルロリ、Vホス、その他まったく新しいトレンドを生み出そうとする人々もたくさん集まっています。
原宿には、昔からそういったフロンティア精神に燃える若者が集まり、手作りで服を作ったり、リメイクしたりすることが盛んに行われてきました。
日本で初めてのブティック(自分で作って自分で売る店)、マドモアゼルノンノンも、マンションメーカー(マンションの一室でコツコツ作る小規模メーカー)の先駆けとなるアトリエ・ケートも原宿から生まれました。
また、原宿の住民たちは、元々下町気質の人が多く、そういった情熱持った若者たちを快く受け入れ、店先や物置、駐車場を貸すなど、協力的だったことも、原宿が特殊な発展を遂げた理由の1つでしょう。他の市街地が、まずファッションビルを建て、そこに入るお店を勧誘するやり方とはまったく違います。お金がなくてもお店を出せるという環境は、デザイナーたちが本当に作りたい物だけを作るという、アーティスティックな創作活動を可能にするのです。
原宿はまた、「日本の文化=和」を大切にする地域でもあります。それは竹の子族のハッピのような衣裳にも、クリームソーダ(ローラー族が愛用したブランド)の和柄刺繍にも、コムデギャルソン・寛斎・コシノジュンコといったDCブランドの服づくりにも反映されてきました。
この日の高橋靖子さんの背中にも、バッチリと日本の柄が入っていましたね。さすがは、日本を代表するスタイリスト「ヤッコさん」です! ( HINENO)
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